出口戦略について
皆さん、こんばんは
あのねぇあれだよー
虫はいいですなー蛙もいいですなナメクジもいいですな
勝手に他人のうちに入って来て文句を言われないんだもの、無賃で滞在出来るんだもの
僕は心優しいのでそんな彼らを温かく迎え入れます。
さて出口戦略について
皆さんはお考えでしょうか?
金融の事ではありません私たち生命の人生の終わりについての計画の事です。
ちょっとずれるけれど我々は人生の節目節目には普段は全く傾倒していないのにその時だけ形式的に宗教じみたものにすがります
死を迎えるときもその一つだ
しきたりに合わせて坊さんに金積んでお経唱えてもらって成仏とか?あるけれどあれってさ宗教というよりさむしろ自分ら遺族から金をむしりとる
資本主義みたいな存在だよな?よく考えるとさー
あんなの意味ないだろ?
まぁこれはおいておいて
本題です
自分のじいちゃんばあちゃんは同じ年になくなったのです
先にじいちゃんは脳梗塞を煩いかつてのように身動きが取れず、ばあちゃんもじいちゃんの病が進んでいくと高齢のためガンになって結局同じ年の
1ヶ月間に二人ともも亡くなった
ばあちゃんは自分の命が長くないことをじいちゃんに伝えないようにと僕らによくいっていたような気がする、そしてじいちゃんもたぶんばあちゃんの事を心配していてついに互いに何も知ることなく亡くなってしまったのだ
50年60年一緒に生きてきても終わりはこんなにもあっけないものなのか?と少年ながら思った
互いの病気について知らせるべきかとかそういうのは置いておいて
人生の出口についておそらく昔から二人は話してきただろう絶対に。
結婚して子供が生まれて成人して孫が出来て自分たちが老いて…って色々話してきたはずだと思ったがあまりにも予想外な人生の出方をしてしまったとおそらく思っているだろう。
長い時間をかけて積んできたものをうまく出口から出すというのは難しいのだろうな
結婚して色々築き上げたけれど離婚へ
嘘を重ね続けて来たけれどもばれて弁明と謝罪
車に愛と時間と金をかけて世界に一台を作ったけれども手放さざるを得なくなったとき
出口戦略なんて考えるだけ無駄なのか
僕はどうやってこの世界の出口から出ていくのだろう
老衰?何かしらの事故?いや
きっと間違いなく何もかも想定外のはずだ
綺麗に終わることなんて絶対にない
そしてきっとinvestment もそうなんだろうな